なぜ、この授業を受けているのか?

学生にとって、授業は「点」でしかない。

シュミレーション実習を4年生にやっていて分かったことがある。授業ごとに知識・技術を入れてもらっているが、それが結びついていない。

そうすると、単発で試験に合格して、単位をとってきても、それを、患者の前で使えない。

今、受けている授業はなぜ受けているのだろうか?

実際、どの学年でも同じ事であるが、学んだ知識や技術は、その授業の単位を取るタメはもちろんだが、使うために学んでいるのである。どのように結びつくかが分からないまま、ただ覚えようとするので、苦痛になる。覚えられないので、苦労する人が毎年増えている事を実感する。

社会では?

社会に出ると、学んだ知識や技術が線になっていないと使い物にならない。例えば、患者さん一人を見る際、接遇、医療面接だけでは治らないし、検査がしっかりしていても、治療は出来ない。でも、治療技術だけあっても、どこに、何をするべきかが考えられない情報量では役に立たない。また、情報だけ、技術だけあっても患者は満足しない。患者の満足度、治療効果を上げるのは、医療接遇である。そこら辺が、すべて交わって、はじめて治療になるのである。さらに言えば、医療接遇が出来ていて、問診、検査、治療技術があっても、経営能力が無ければ、患者は回せない。

このように、様々なことが結びついて線になって、はじめて仕事になるのである。

大学とは、そういうものを学ぶ場である。

高校と大学の違いは、大学とは、社会を見据えて、自分で必要なことを学ぶ場であるということである。だから、「学習」ではなく、「学修」を使うという。理屈では分かっていても、実践できている人がどれほどいるんだろうか。

1年生の授業

人体の構造(解剖学)、人体の機能(生理学)、東洋医学総論、経穴学などがあるが、これらはすべて単発で、勉強している人が多い。

東洋医学総論と経穴学が関連が深いのはもちろんだが、本来は、人体の構造(解剖学)と経穴学は関連があるし、人体の機能(生理学)と東洋医学総論は関連がある。他にも人体の構造(解剖学)と東洋医学総論ももちろん関連がある。言い換えている部分、時代や元となっている論理の違いなど、相違があるという関連性である。

全く同じものではないという点で、違いを比較して覚える、その理由を考えるとより両方が分かってくるものである。

2年生の授業

経穴学は1年生の授業の延長戦のため、もちろん関連があるが、ある学生がよく言う。

「1年で終わった範囲をなぜ、2年生でまたやる?」

それを言い出したら、国家試験や社会に出たとき、使うからである。鍼灸師をやっていく上で、永遠に使うからである。(鍼灸師にならない場合は別であるが。)

さらに、東洋医学的な病理が詳しく入ってくる。そうすれば、病理学、臨床医学総論、臨床医学各論との違いも重要となってくる。東西医療の両面から患者を診なければいけない時代である。両方を学び、両方の良いところを患者に与える練習をしなくてはいけないのである。

3年生の授業

経穴学、東洋医学総論、各論の一部も終わり、実際に線としてつなぐ部分である。でも、それでも短い線のため、学生は点としてしか捉えない。

医療面接、理学検査、弁証、治療方針の構築、実際の治療。すべてバラバラである。

これを、4年生になってはじめて、つながなくてはいけない。

授業でこれをつないでおけば、治療所でやっていることの意味が分かるのに、短い線にしかなっておらず、それをつなげて流れのある線にはなっていない。

4年生の授業

線になっていれば、様々な治療法、様々な考え方を入れられても、応用できる。取捨選択できる。ところが、線になっていないため、どこにどのように使えば良いかが、全く見えず、さらに短い線が増えていくだけである。

短い線が絡み合って、玉になって転けているだけである。

使えない状態のまま、社会に出て行くことになる。そうするとペーパードライバーのでき上がりである。

みな、どうしたいのか、どのようにすれば良いのか、教員も考え中である。もう少し、学生側も提案してくれても良いのではないだろうか。